【2006.5.30】オ〜ガワのコラム 第8話


大手拓次の生地・磯部散歩



「いくお〜る」4月号(66号)で紹介した片耳難聴の天才詩人・大手拓次。彼の足跡を求めて5月4日、詩碑と墓地があるという、磯部温泉に行きました。そのてんまつは、6月号(67号)に書きましたが、なかなかユニークな取材だったので、補足情報をサイトに掲げておきます。


拓次の詩碑(地図1)はすぐに見つかりました。信越線磯部駅を降りてまっすぐ北へ4分、赤城神社を入り、社殿を回るともう磯部公園。その中でも一番大きな石碑が拓次の「陶器の鴉」詩碑でした(写真1)。
磯部温泉は、拓次の祖父、大手万平が開拓したそうです。公園には万平の銅像もありました(写真2)。
磯部温泉は日本の温泉マーク発祥の地。石碑がありました(写真3)。その他、温泉ゆかりの文学者の石碑等も数多くあります。

(写真1)
「陶器の鴉」詩碑
(写真2)
拓次の祖父、
大手万平の銅像
(写真3)
日本の温泉マーク
発祥の地の石碑。
手話源ですね!

その後苦労して見つけた、拓次の生家跡地。拓次が生まれたあたりに池があり、そのほとりに甥の作次氏が建てた「藍色の蟇」の詩碑がありました(地図2・写真4)。
詩碑の見える町中に、足湯ができるスペースがあります。のんびり足湯をしながら拓次の石碑が目に入るロケーションです(写真5)。
名物の、温泉を使って焼き上げた磯部煎餅(鉱泉煎餅)をぱりぱりかじりながらつかるのもいいですねえ。

墓地は磯部公園の東側、バイパス沿いにありました。大手家、桜井家の墓地の裏手に、祖父の万平夫婦、両親の墓に続いて拓次の墓がありました(地図3・写真6)。合掌。

(写真4)
生家跡地にある
「藍色の蟇」の詩碑
(写真5)
磯部温泉の泉源。
足湯のできるスポットに
なっている
(写真6)
大手拓次の墓。親友の逸見享氏が
設計した白っぽい赤御影石。
他の墓石と異彩を放っている。

これらがいずれも歩いていける距離にあるのです。一番離れている拓次生家とお墓でも、500mくらいです。ちょっとした観光にぴったりです。
群馬の名勝、妙義山も車で20分。機会があれば訪れて、こんな先人もいたことを偲んでみるのはいかがでしょうか。

こんなのもありました。「恐妻碑」(写真7)。
これは実物がどこにも見あたらなくて、探しました。
駅前のタクシー構内営業所に聴きにいったら「かたづけたー」とのこと。

え?


ちょうど駅前ロータリーを整備していたようで駅のすみの空き地に置かれていました。
「恐妻の時代は終わったのだ〜」とか思ってましたが、今度は場所を変えて設置し、「愛妻の町」として売り出すようです。
(左:写真7)工事中で「かたづけ」られた「恐妻碑」


ううむ磯部町、なかなか奥の深いところです。


http://itp.ne.jp/contents/tabionsen/gunma/gun09.html

(5/29記・OGAWA)

<『つれづれなるままに』トップページへ戻る

 



bana-



   
購読やバックナンバーの
   購入はこちらへ



  情報がたっぷりのブログ



   読者からの情報はこちら


   旧情報コーナーはこちら














〒164-0001 東京都中野区中野3-33-3 インツ中野ビル5F
TEL 03-3380-3324/FAX 03-3382-6565