【2006.3.31】オ〜ガワのコラム 第6話

『湧上聾人(わくがみろうじん)について



聴覚障害者の政治家としては、昨春白馬村議をおやめになった桜井清枝さんや、戦前の新潟村長・横尾義智氏が有名だが、戦前の沖縄にもいた。
その政治家が湧上聾人。彼の伝記を入手したのでご紹介しておきたい。

湧上聾人(わくがみろうじん)とその時代
 〜炎の政治家・三千三百六十九文字の闘い〜
  前川守仁(しゅじん)/著 1978.8.1 ひるぎ書房刊

明治21年、玉城村富名腰生まれ、幼名平二。
幼少時に水遊びで友人にけ飛ばされた耳のケガが原因らしく、難聴になる。
但し、耳に手をあてれば近距離の会話は聞こえるレベルだったらしい。
ミンカーフラー(沖縄ことばで「つんぼの馬鹿」の意)と呼ばれても屈せず、35才のとき聾人と改名。

昭和初期、医療費を支払えない方々のためにと那覇に「同仁病院」を設立。
同時期、沖縄製糖社が沖縄の島々に進出、製糖工場設立のために土地買収しようと した際、土地を譲り渡したら農家の人々の未来はないと考え、自作農家を守って闘争した。

標題の「三千三百六十九文字」とは、彼が東京から自作農の知人たちに発信した電報の文字数で、こうした彼の闘争は「島守り」として語りぐさになっているという。


政治活動にも意欲を持ち、戦前沖縄県議から、県選出の衆議院議員に当選する。だが東条内閣で44年5月、議員失格になる。

政治的には中野正剛氏に影響を受けていたという。

http://www.c20.jp/p/nseigo.html


中野氏は1943年10月21日に東条内閣の倒閣容疑で逮捕、10月26日に自殺している。聾人の戦後の経歴に目立ったものがないのは、中野氏と共に行動していたのが尾を引いていたのだろうか。

あるいは聴覚障害が進んだためだろうか。

晩年、聞こえていれば、どこぞの学校長くらいには、と嘆くこともあったそうだ。

◇玉城村サイト
http://www.vill.tamagusuku.okinawa.jp/rekishi/dentou/ijin1.html


聞こえないこととともに戦った先人。彼らに関する著作を読むと、何かしら元気づけられるようだ。負けてはいられない、という思いがする。
本は30年近く前の刊行だが、沖縄の古書店に依頼すれば、それほど入手困難な本ではないそうだ。



(3/30記・OGAWA)

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