【2005.11.18】オ〜ガワのコラム 第2話
『 古書蒐集


前回激ヤセのことを書いたら、「どうやって痩せたの?」という質問が。
ホイホイお教えしましょう、とか思ったのですが「ダイエットのことばかり書くな〜!」と部内からクレームが。 仕方ない、次回のお楽しみに(?)とっておきましょう。

最近のマイブームは古書蒐集です。
きっかけは『いくお〜る』 51号の村上鬼城の調査でした。難聴俳人として有名な鬼城について調べるうちに、耳疾を患い、貧窮の生活に苦しんだ鬼城自身の境涯がだんだん自分の境遇とオーバーラップしてしまったのです。

鬼城ゆかりのものが欲しくなり、「鬼城句集」大正6年初版を購入してしまいました〜!ウン万円。

その後も蒐集を続け、昭和初期を中心に十数冊集めました。聴覚障害関係のテーマに絞っています。仕事が情報誌の編集なので、いつかネタに使えるかな、というのもあります。
最近入手したのが、写真の「讀話成績向上方案」の本です。東京「市」立聾学校作成なので、もちろん戦前刊行です。

実は当初だまされました。
書店からの案内には、大正6年頃の刊行とあったので、その頃の補聴器環境を知る手がかりになれば、と思って購入したのです。
(日本の補聴器黎明期で、この時期の補聴器環境について知る資料がほとんど見あたらないのです)

実際には昭和7年頃の作成のようです。
しかも、奥付がなく、刊行年月日が不明です。(他の本に書誌があり、原書の作成時期は把握できました)
販売店に鬼メールして、1万円まけてもらいました。
返品してもよかったのですが、読んでみるとなかなかおもしろいのです。当時の教育やコミュニケーションに関する「哲学」が背後にあることが伺えます。
読話の指導は、ろう児のうち残聴力を持つ何%かに限定される、などこの本の思想からは、ろう児に何がなんでも読話を身につけさせよう、と強要したわけではないらしいことがうかがえます。本の上だけかもしれませんが…。それまで主流だった「単語形式」による指導の矛盾をつき、「単文形式」による、ひとまとまりの意味の伝達に力を入れたようです。
拡声機や補聴器についても記載があります。当時補聴器は高かったはずなので、ごく一部でしょうか、使われていたことが伺えます。いずれゆっくり調べてみたいものです。

とはいえ昨今の忙しさでは、老後の楽しみにとっておくことになりそうです…。

(11/17記・OGAWA)

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